出来るだけ家事を手伝いたいという意識はあります。
とは言っても私が出来ることと言えば、食器の洗い物、洗濯物の取り込み、風呂掃除..大したことが出来るわけではありません。この程度しか手伝っていなくて「何が家事を手伝うだっ」と言われれば、真摯に指摘を受け取らないといけないでしょう。
その他のことは妻がやってくれているわけで、それが大変な労力であることは、想像するに難くありません。
*
とある休日の夕方。日中は家族全員とても忙しかった日でした。
妻「今日さー、疲れたから晩御飯作ってくれない?」
私自身、料理がほとんど出来ず、家事の中では最も苦手です。私は普段使ってもいない頭をフル回転させ、全力で問題解決に挑みます。
私:「じゃあさー、外に食べに行こうか?」^^;
妻:「今日は疲れたからさ、出かけるはやめたいよね..」ヽ( ´ー)ノ フッ
私:(--)ムゥ
私:「な..ならさ、買ってこようか?」(^▽^;)
妻:「そうじゃないんだよな..」フー ( ̄‥ ̄) = =3
私:(-ω-;)ウーン
やはり作ったほうが良いのだろうか。いや、妻とて私が料理を苦手としていることを知っているはずだし、うまく作れない料理を無理して食べることは望んでないはず。さらに『手伝う』という選択肢を選べば、狭いキッチンの中で私の手際の悪さが際立ち、妻の邪魔になるのは明白に明瞭、妻の機嫌がストレスでマッハなのは確定的に明らかだろう。*1
私は某ゲームプレイヤーの迷言が出るくらい混乱し、次の一言を躊躇していると妻は結局、
妻:「もういいよっ」(`ヘ´#) ムッキー!
と機嫌を損ねてしまった。妻に出来るだけ楽をしてもらいたいという想いは通じず、その日はその後もお互いイライラが続いていた。
私はどう答えれば良かったのだろう..
*
実は先の話は同じようなことが数回ありました。些細なことで何度もイライラして口をきかない状態になるのは嫌ですから、つい先日ちょっと一息できる時間に、件のことを話し合ってみたんです。
私:「こないだもさー....ってことあったよね。あれってどんな気持ちで言ってたの?」
妻:「あれはね、『本当に作って』なんて思って言ってないよ」
私:「じゃあ、手伝って欲しかったとか?」
妻:「それもないよ、苦手なの知ってるし」
私:(;^_^A アセアセ・・・
妻:「あれはね、『疲れててもご飯作らなきゃいけないのって大変』だって分かって欲しかっただけだよ」
そう。妻は疲れているときにもご飯を作る大変さを共感して欲しかったのです。
私はずっと妻の労力を軽減する解決策を提供しようとしていた。けど、求められていた答えは違っていたんですね。
妻の要望を推測で考えていたため、意味の無い解決策を提示して、両者イライラする結果になってしまった。
その後も妻と話をしていると、何をしてあげれば良かったのか分ってきました。
今後実践しようと思ったことをまとめる
まずは話しを聴いてあげよう
話しを聴いた上でねぎらいと感謝をしよう
本当に助けが必要な時は必ず行動して(助けて)あげよう
改めて書くと至極当たり前なことなのですが、なかなか実践できていなかったことでした。
さらに考えたら一番伝えたかったことが分った気がした
上の「実践しようと思ったことをまとめる」に行き着けたのは、じっくりと落ち着ける時間を取り、向き合って話しをしたことがきっかけでした。
当初は「実践しようと思ったことをまとめる」を結論にしようと考えていたんです。
けど、人それぞれで環境や価値観が違うはずだから、上の「私が実践しようと思った」ことが、ほかの人には当てはまらないかもしれない。
だから解決策を導きだすきっかけになった向き合って話しをすることこそが最も重要だったと気がついたのです。
向き合ってじっくりと話しをするって「実践しようと思ったこと」よりもずーっと当たり前なことだと思うのですが、場合によっては意識しなくては出来なかったり、ものすごく勇気が必要だったりすることかもしれません。だからこそ重要なのかなと。
本当の自分自身の姿を見せられる相手というのは限られてるから、そういう大切な人とはちゃんと向き合って話すことが大事なんじゃないかな。
The Walk / La promenade by mcohen.chromiste
これからも大切な人と共に歩いていこう。
*1:ブロントさんの名言から:ブロント - アンサイクロペディア